「しっかりしてるね」が、ほめ言葉なのに少しだけ刺さる理由


「しっかりしてるね」

そう言われて、笑って「ありがとう」と返した夜。
家に帰って、靴を脱いで、電気もつけないまま座り込んだことはないだろうか。

嬉しくなかったわけじゃない。
けれど、どこかで思ってしまう。

——それって、もう心配しなくていいってことですか。

ほめ言葉の、後ろ側

「しっかりしてるね」は、たしかにほめ言葉だ。
でも、その言葉には静かに続きがある。

「しっかりしてるね」=「だから、放っておいても大丈夫だよね」

誰も悪気はない。むしろ好意で言っている。

ただ、その言葉が置かれた瞬間、あなたは「支えなくていい人」の側に分類される。
心配される列から、そっと外される。

弱っている人には、みんな手を差し伸べる。
強い人には、みんな安心して背中を向ける。

それを何度も繰り返してきたから、あなたはもう知っている。
ちゃんとしていればしているほど、誰も入ってこなくなる。

あなたは「甘えられない」んじゃない

よく言われる。
「もっと肩の力を抜きなよ」
「たまには甘えたらいいのに」

その通りだと思う。思うけれど、できない。

だからあなたは、いつからか自分をこう説明するようになった。
「私、甘えるのが下手なんです」と。

でも、本当にそうだろうか。

甘えるというのは、ひとりでできる行為じゃない。
受け止める相手がいて、はじめて成立する。

差し出した手を、掴んでもらえた経験。
弱音を吐いても、引かれなかった記憶。
崩れたときに、隣に座っていてくれた誰か。

それがあった人は、自然と甘え方を覚える。

あなたにそれが少なかっただけだ。
甘え方が分からないんじゃない。甘えていい相手が、いなかっただけ。

これは、あなたの欠点じゃない。ただの、経験の不足だ。

強さは、鎧じゃなく、筋肉だ

ここで「もっと弱さを見せましょう」と言うつもりはない。

だってあなたは、弱いから強くなったんじゃない。
強くなる必要があったから、強くなった。

自分でどうにかするしかなかった。
誰かを頼る前に、自分で立てるようになるほうが早かった。
そうやって手に入れた強さを、いまさら「捨てなさい」と言われる筋合いはない。

その強さは、あなたが自分を守るために鍛えた筋肉だ。
脱ぎ捨てるようなものじゃない。

だから、こう言いたい。

強いままで、いい。

強さを手放す必要はない。
必要なのは、その強さを緩めていい場所を持つことだけだ。

「一人でも平気でしょ」の、ほんとうの答え

「一人でも平気でしょ」

そう言われるたびに、あなたは頷いてきた。
だって、実際に平気だから。ひとりで生きていける。仕事もある。友達もいる。

でも、正確に言えばこうだ。

平気だけど、平気じゃなくてもよかった。

一人でやれることと、一人でやりたいことは、同じじゃない。
できるからやっているだけで、望んでそうしているわけじゃない。

その微妙な差を、誰も聞いてくれなかった。
「平気でしょ」で、話が終わってしまうから。

「ちゃんとしてる自分」を、脱がなくていい

多くの言葉が、あなたにこう言う。
——素直になりなさい。
——弱さを見せなさい。
——鎧を脱ぎなさい。

でも、鎧を脱げと言う人ほど、脱いだあとのあなたを受け止めてくれない。

だから、脱がなくていい。
緩めるだけでいい。

ボタンをひとつ外すくらいでいい。
「実は今日、ちょっと疲れた」と、たった一言こぼすくらいでいい。

それができる場所と、それを聞いて動じない相手。
必要なのは、たったそれだけだ。

ここは、そういう場所です

強さを否定しない。弱さを強要もしない。

「頑張ってるね」で終わらせず、その先の話を聞く。
「平気でしょ」と決めつけず、平気じゃない部分に座る。

あなたが今日、誰にも言わずに飲み込んだ言葉。
それを言っても、何も失わない場所。

強いままで、いい。
でも、ここでは甘えていい。

その意味を、これから少しずつ書いていきます。

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